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横浜地方裁判所 昭和47年(ワ)1552号 判決 1976年10月29日

原告 千石勝子

右訴訟代理人弁護士 谷口隆良

被告 澤田幸雄

右訴訟代理人弁護士 綿貫繁夫

主文

一  被告は原告に対し、金四九三、四四〇円及び内金二四三、四四〇円に対する昭和四七年一〇月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金三、三一七、八四〇円及び内金二、八六七、八四〇円に対する昭和四七年一〇月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (不法行為)

被告は原告に対して昭和四五年四月七日、訴外亡沢田金重を原告、本件原告を被告とする神奈川簡易裁判所昭和三七年(ハ)第一四号事件の昭和三七年一一月九日成立した和解による第六回口頭弁論(和解)調書の執行力ある正本を債務名義として、被告が承継執行文を得て執行債権者となり、原告が占有していた横浜市鶴見区汐入町一丁目二四番地所在、木造亜鉛葺平家建作業所(現在居宅)一棟床面積四九・五八平方メートル(以下本件建物という)に対して建物明渡の強制執行を行った。原告は、神奈川簡易裁判所昭和四五年(ハ)第四〇号請求異議事件を提起し、昭和四七年五月二六日原告勝訴の判決を受け同年九月一九日確定したので、右の強制執行による執行処分は同年一〇月六日取消された。

2  (故意・過失)

(一) 被告は、昭和四四年二月五日、杉山保三弁護士を代理人として原告に対し、賃料二ヶ月分(昭和四三年一二月分及び昭和四四年一月分)の滞納を理由に本件建物の賃貸借契約の解除を通知したが、右一二月分賃料は既に原告が昭和四四年一月三〇日鶴見郵便局で現金書留郵便に付し、翌三一日同局員が被告方へ配達に赴いたが家人不在のため局に持帰ったものである。

(二) 原告は、同年二月六日右現金書留の受戻手続をし、右賃料を当時の被告代理人杉山保三弁護士宅に持参したが、受取りを拒まれたため、原告の娘である訴外千石テル子をして、右賃料を被告宅に持参し、応対に出た被告の妻沢田昭子に右の経過を説明させた。

(三) 被告は、既に、同年二月六日以前に郵便局よりの現金書留保管中の連絡により、原告による賃料の送達を知っていたものである。仮にそうでないとしても、少くとも同日には右原告側の説明により賃料が送達されていたことを熟知し、又は原告側に事情を尋ねることによって充分に知り得たものである。従って、被告に故意又は過失がある。

3  (損害)

原告は、前記強制執行のため以下の損害を蒙った。

(一) 原告は、本件建物の奥三畳に一人、中央三畳に一人、左側八畳に三人の計五人を常時下宿させていたが、被告の前記強制執行により、本件建物入口の正面三畳の戸四ヶ所にわたって執行官の保管の表示が公示されたため、玄関と各室との出入口が閉鎖され、営業上の信用を失墜した。その結果、当時入居していた下宿人は全て解約のうえ退去してしまい、新たな下宿人が何度か訪れたものの執行官保管の表示を見ては契約しないで帰って行った。執行の継続期間は二年六ヶ月(三〇ヶ月)に及んだ。下宿料は、一人につき一ヶ月金二〇、〇〇〇円の契約で、うち食事代等の経費として金五、〇〇〇円を要したので、原告の実収入は下宿人一人につき一ヶ月金一五、〇〇〇円である。従って原告が蒙った損害は、一ヶ月金七五、〇〇〇円として三〇ヶ月分の合計金二、二五〇、〇〇〇円である。

(二) 被告は原告に対して、本件建物の賃料を受領すべき義務があるに拘らず受領を拒んだため、原告は止むなく、昭和四五年二月から昭和四七年九月まで毎月末日計三二回横浜地方法務局に出頭して弁済供託手続をなした。

このため交通費一回につき金一二〇円を支出し、日当一回につき少くとも金二、〇〇〇円の損害を蒙った。よってこれに基く損害金額は、合計金六七、八四〇円である。

(三) 被告の違法な強制執行によって原告の蒙った精神的苦痛に対する慰謝料は金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(四) 原告は、前記強制執行を排除するため、神奈川簡易裁判所昭和四五年(ハ)第四〇号請求異議事件及び同裁判所昭和四五年(サ)第一〇八号強制執行停止決定申立事件の遂行を矢島惣平弁護士に委任し、その手数料として金五〇、〇〇〇円をすでに支払い、その報酬金として金五〇、〇〇〇円の債務を負担している。

(五) 原告は、本件訴訟の遂行を谷口隆良弁護士に委任しその費用及び成功報酬は合計金四〇〇、〇〇〇円である。

以上により、本件不法行為により原告の蒙った損害は合計金三、三一七、八四〇円となる。

4  (請求)

よって、原告は被告に対し、右損害金三、三一七、八四〇円の支払と、右金員のうち弁護士費用金四五〇、〇〇〇円は将来原告が支払うものであるので、これを除いた金二、八六七、八四〇円に対する本訴状送達の日の翌日である昭和四七年一〇月二九日から完済に至るまで、民事法定利率年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否と被告の主張

1  請求原因第1項は認める。請求原因第2項の事実中杉山保三弁護士を被告代理人として賃貸借契約解除の通知をしたことは認めるが、その余は争う。請求原因第3、4項はすべて争う。

2  被告はその主張として次のとおり述べた。原告が昭和四三年一二月分の賃料金一五、〇〇〇円を昭和四四年一月三〇日現金書留で郵送し、翌三一日鶴見郵便局員が被告方に配達したが、不在のため局に持ち帰った行為は弁済の提供にならない。仮に弁済の提供があったとしても、被告が、原告の右賃料郵送の事実を知ったのは、強制執行異議訴訟が提起されたのち被告代理人杉山保三弁護士より説明された時点である。したがって、被告が契約を解除し強制執行をなしても、故意過失があったものとは言えない。又原告は、下宿業をなすことにより本件建物の一部を無断で第三者に転貸したものである。本件建物の賃貸借契約では、原告が本件建物を転貸するときは被告の書面による同意を必要とするものであるから、原告において右強制執行により下宿せしめられなかったからといって損害が発生したものとは言えない。

三  相殺の抗弁

1  仮に前記強制執行が違法であって、原告に損害賠償請求権が発生したとしても、原告の賃料の支払方法は、「持参支払」と定めた和解調書に違反して郵送に依ったものであるから、原告にも過失がある。従って過失相殺を主張する。

2  次に被告は原告に対し、以下の債権を有するので、昭和五一年七月一四日付準備書面をもって対等額で相殺の意思表示をした。

(一) 原告、被告間の神奈川簡易裁判所昭和三七年(ハ)第一四号和解調書第三項記載の金一八〇、〇〇〇円の債権。

(二) 被告が原告に対して有する昭和四六年二月分より同年七月分までの一ヶ月金一五、〇〇〇円の割合による右和解調書記載の建物賃料の未払金合計金九〇、〇〇〇円。

(三) 被告が原告に対して有する昭和四七年九月分及び同一〇月分の一ヶ月金一五、〇〇〇円の割合による右建物賃料の未払金合計金三〇、〇〇〇円。

(四) 被告が原告に対して有する昭和四八年一月分より同年五月分までの一ヶ月金一五、〇〇〇円の割合による右建物の賃料未払金合計金七〇、〇〇〇円。

四  相殺の抗弁に対する認否

1  抗弁第1項は否認する。

2  抗弁第2項中(一)記載の債権が発生した事実は認める。

五  再抗弁

1  抗弁第2項中(一)記載の債権につき、原告は昭和四七年九月二九日付内容証明郵便を以て原告が本件建物に関して、以下の補修工事に支出した必要費の償還請求権と対等額で相殺の意思表示を被告に対してなした。

(一) 昭和三七年一二月中頃

屋根の修理等  金九八、〇〇〇円

(二) 昭和四一年二月から昭和四二年一二月頃までの間

畳取替     金五五、一〇〇円

屋根のトタン替 金四七、一四五円

大工ペンキ屋等への支払 金一〇五、一六〇円

以上合計金三〇五、四〇五円

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因第1項の事実、並に、被告が昭和四四年二月五日原告に対して、本件建物の賃貸借契約につき解除の意思表示をした事実については当事者間に争いがない。

二1  被告は、原告のなした本件賃料の郵送は弁済の提供にならず、提供があったとしても「持参支払」の約定に反するので過失相殺をする旨主張するから、先ずこの点について判断する。

請求原因第2項中、《証拠省略》によれば、原告は、昭和四三年一二月分賃料を昭和四四年一月三〇日現金書留郵便で送付し、翌三一日、郵便局員が被告方へ配達に赴いたが、家人不在のため局に持帰った事実が認められる。

右認定の賃料の郵便送金方法は、使者による被告の住所への持参と解するのが相当であるから被告の主張する賃料持参払いの約定に違反するものでなく、かつ、被告の住所へ持参した以上、たとえ、被告が不在であって、これを受領することができなかったとしても、弁済の提供があったことにかわりはないから、この点に関する被告の主張はいずれも理由がない。

2  次に、被告は、賃料郵送の事実を知ったのは、強制執行異議訴訟が提起された後であるから、契約の解除ならびに強制執行について故意過失はないと主張する。

《証拠省略》を綜合すると、昭和四四年二月六日、原告は右現金書留の受戻手続をし、被告代理人杉山弁護士宅に持参したところ受取りを拒否された。そこで原告は、同日原告の娘である訴外千石テル子を使者として右賃料を被告宅に持参させたところ、被告の妻訴外沢田昭子にその受取りを拒否された事実が認められる。

建物の賃貸人は、建物の賃借人が賃料を数日間遅滞し、しかもその遅滞によって賃貸借契約の解除をし強制執行に迄及ぼうとする際、該契約の解除によって賃借人の受ける損失が相当に大きいことが推測されるようなときには、遅滞した理由を賃借人に尋ね、或は適当な方法で調査したのちに解除し強制執行に及ぶ注意義務がある。しかるに、右認定事実によると、被告は右注意義務を怠り、同年二月五日本件賃貸借契約解除の意思表示をなし(意思表示をなした点は争いがない)、それから一年二ヶ月を経過した昭和四五年四月七日に至って強制執行に着手し(強制執行をなした点も争いがない)たのであるから、被告は少くとも、強制執行に着手するまでには、右賃料の提供の事実を知り得べきであったものと言うべきであり過失の責を免れることはできない。

三  そこで、損害について検討する。

1  被告は、原告の主張する下宿は本件建物の転貸にあたるから、被告の書面による同意がない限り許されないものと主張する。しかしながら、《証拠省略》を綜合すれば、原告の業としている下宿、すなわち、短期的な泊客或は学生などを対象とし、その人達に対する食事の提供、洗濯等の労務のサービスを中心とするものは、成立に争いのない乙第一号証の和解条項第四項のの無断転貸禁止の条項に該当しないものと解されるから、この点についての被告の主張は採用できない。よって、右下宿業ができなかったことによる得べかりし利益について検討する。

《証拠省略》によると、本件強制執行によって、本件建物の入口正面にある三畳の間の占有が三〇ヶ月間奪われたため、下宿人一人をその期間下宿させることができなかったこと、原告の収入は下宿人一人につき一ヶ月金一五、〇〇〇円であることが認められる。そうすると、右の損失は合計金四五〇、〇〇〇円となる。

なお、原告はその余の部屋についても執行官の表示によって信用を失い下宿人を置くことができなかった旨主張するが、これが主張に副う《証拠省略》は信用できないし、その他この点を立証するに足る証拠もない。却って、《証拠省略》によると、強制執行中も、これを解除した後も、強制執行前の使用状態と余り変ったことはなく、下宿人が同じようにあったことが認められるから、この点に関する原告の主張は採用しない。

2  《証拠省略》によると、原告は合計二三回にわたって弁済供託手続をなし、これがために要した交通費は一回につき一二〇円であったこと、日当は一回につき金三〇〇円が相当であることが認められるので、これによって蒙った損失の合計は金一三、四四〇円となる。

3  被告の違法な強制執行により、原告の蒙った精神的損害に対する慰謝料は、前記認定事実と諸般の事情を斟酌すると金一〇〇、〇〇〇円が相当である。

4  弁護士費用は矢島惣平弁護士に対し金一〇〇、〇〇〇円、谷口隆良弁護士に対し金二〇〇、〇〇〇円が相当である。

なお、《証拠省略》によれば原告は前記強制執行を排除するため、矢島惣平弁護士に訴訟委任した際、その手数料としてすでに金五〇、〇〇〇円を支払っていることが認められる。

5  以上原告の蒙った損害額の合計は、金八六三、四四〇円となる。

四  被告は、相殺の抗弁第2項において(一)ないし(四)の債権を自働債権として原告の蒙った損害賠償債権と対等額において相殺する旨を主張する。右(一)の債権金一八〇、〇〇〇円が和解調書によって成立したことは争いがなく、(二)ないし(四)の賃料債権は原告において明らかに争わないから自白したものとみなす。そうすると、右債権額の合計は金三七〇、〇〇〇円となるから、これを自働債権とし、前項の原告の有する損害賠償請求債権金八六三、四四〇円を受働債権とし、対等額において相殺すると、残額は金四九三、四四〇円となる。

五  原告は、再抗弁として、本件建物の補修工事費を自働債権として相殺する旨を主張する。しかしながらこの点に関する《証拠省略》はいずれもこれを信用することはできないし、又これを認めるに足る証拠もないので採用の限りでない。

六  以上の事実によれば、原告の本訴請求は、金四九三、四四〇円及び内金二四三、四四〇円に対する本件訴状送達の翌日である昭和四七年一〇月二九日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言は付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 石藤太郎)

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